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展示資料紹介 №9 義民多兵衛(ぎみんたへい) 


 江戸時代、天明年間には日本近世では最大の飢饉とされる「天明の大飢饉」が発生し、全国で数万人の餓死者が出たとされています。

 この天明の大飢饉は天明8年(1788年)には収まりますが、丸森ではその後も阿武隈川の洪水による被害が続き、それによる年貢の減免もなく、むしろ阿武隈川の改修工事などで農家1軒から毎日1人以上の人夫を出さなければならない状態となっていたようです。

 このような状態の中、文政6年(1823年)にも阿武隈川が氾濫し、丸森地方一帯の収穫が皆無という被害を受けました。

 たまりかねた農民たちは藩の役人へ願書を出しましたが、取り上げられず、不満をつのらせて役所や役人を襲撃しようと考える者も現れたようです。

 これらの農民の指導をかつて肝入などの世話役を務め、多くの農民から信頼のあった、竹谷地区の菊地多兵衛にお願いすることとなりました。

 多兵衛は農民の暴挙を抑え、穏便にことを運ばなければ犠牲者が出るだけで効果がないことを説明し、訴願するのを自分ひとりに任せるよう説得しました。そして、農民の窮状や役人の横暴などを詳しくまとめた嘆願書を大肝入・向約・代官宛に差し出しましたが、いずれも却下されたために、藩へ直接、直訴したといわれています。

 直訴は訴訟に関する正式な手続きを行わない不法行為であるため、当然、多兵衛は牢獄へ捕らえられ、3年後に亡くなりました。

 この騒ぎのかかわった者の処分は事件から6年後に行われましたが、農民側の処分は比較的軽く、仙台藩は代官の更迭・亘理伊達氏も向役を変更し、人夫の割り当てについても検討したと伝えられますが、詳しいことはわかっていません。

                       
 義民多兵衛肖像図

 
 
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