町長コラム「郷里に響け」
令和7年9月 「復興への道」

戦後80年という節目を迎え、8月は様々な特集が報道されていた。特に原爆の話には心が痛み、核兵器の恐ろしさを改めて認識させられた。
核エネルギーは恐ろしい側面を持つ一方で、使い方を間違えなければ生活の一部に利用されており、毒にも薬にもなる表裏一体の関係にある。平和利用した原子力発電は、生活に欠かすことのできない電気の供給を支えている。
しかし、残念ながら東日本大震災で原子力発電の負の側面が出てしまい、福島第一原発事故後の対応には多くの時間と労力を費やし、今も元の生活に戻ることができない方が大勢いる。
先日、原発事故で大きな被害を受けた飯館村へ行く機会があった。私は村の広報紙に毎月目を通しており、復興が進んで元の生活が営まれているのかと思っていたが、村内の人影はまばらで工事用の車両や重機が多く、復興までの道のりはまだまだ遠いように感じた。一方で、自分の家や農地を守るために、村外から足しげく通い続けている方や、事故後に移住した人もいるという。「自分たちの村を再生しよう」、「それを手伝おう」という強い思いを持った人たちがいることが分かり、嬉しくなった。
また、飯館村では除染で出た土をどうしていくのかが課題となっていたが、農地の盛土としての再生利用や、放射性物質の作物への影響を調査する実証実験が実施されていた。再生利用することに不安もあったと思うが、村民と話し合いを重ねて理解を得ながら、村民が安心して前に進めるよう尽力していた。
本町でも、原発事故による除染土を仮置場に保管している。事故から14年経過したなかで、まずは町内に点在しているものの安全を確認しながら一か所に集約し、少しでもこの問題を解決に向けて前進させていかなければならない。